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 前6世紀頃、インドのカピラヴァストゥ国王家の嫡男として生まれたシッダールタは世の無常をはかなんで出家し、修行の末、悟りを開いてブッダとなりました。そして5人の弟子たちにその覚った法を説いたところから仏教が始まりました。しかし、インドでブッダの姿を映した偶像、すなわち仏像が造られることはありませんでした。

 1世紀中頃、現在のウズベキスタン南部からインド北部にいたる大帝国を築き上げていたクシャーン朝下のガンダーラの地で、仏像が始めて造像されたといわれています。このコーナーでは、ガンダーラをはじめとして、仏教遺跡を少しずつ紹介していきます。

ガンダーラ

ガンダーラは現在のパキスタン北西部にあった古代の地域名で、東はインダス川、西はアフガニスタンとの国境近く、北はマラカンド峠、南はコハット北の山脈あたりが境界となっていました。国のなかを西から東へカーブル川が流れ、ペシャーワルの町近くで北からのスワート川がこれに合流してつくりだす肥沃な平原です。

法勅石の残る山写真.1
法勅石の残る山

ガンダーラの名は前1200年頃を中心に編まれたという古代インドの聖典リグ・ヴェーダに登場します。前6世紀にはアケメネス朝ペルシアの版図に組み込まれ、ベヒストゥーンの岩壁に刻まれたダレイオス1世の碑文に"GADARA"の名がみられます。後82年頃に編まれた中国の史書『漢書』「西域伝」に罽賓国として記述があるなど、古より金銀鉱物を産し、五穀に恵まれ栄えた土地でした。
この地に仏教が正式に伝えられたのは、有名なマウリア朝のアショーカ王時代の前259年頃のことで、仏典『マハーヴァンサ』などに、マッジャンティカ(末闡堤)大師が赴いたと記されています。東西をつなぐインド古道に、北のスワートからの道がぶつかるシャーバーズ・ガリーの地の山腹(写真1)に、カロシュティー文字で「ガンダーラにおいて、法の確立と法の増進のために」と刻まれた法勅石がいまも残っています。(写真2)

アショーカ王の法勅石写真.2
アショーカ王の法勅石

ガンダーラは、釈迦牟尼の姿を人の姿で表した仏像(仏陀像)をはじめて制作しただけでなく、弥勒菩薩、観音菩薩、執金剛、鬼子母神らに最初に姿を与えたのも、ここガンダーラでした。ガンダーラは、仏教美術史上もっとも重要かつ有名な土地の一つです。
*美術史における「ガンダーラ」は北部のディール、スワート、マラカンド、ブネール、インダス東岸のタキシラなどを含むことが多い。

シルクロードの都市物語

バーラーヒサール

バーラーヒサール写真.1
バーラーヒサールの城塞址

アケメネス朝ペルシア時代のガンダーラ国の首都プシュカラーヴァーティで、前6世紀のギリシアの歴史家ヘカタイオスが「断章」178の中で「ガンダリケの首都」と記している「カスパピュロス」、『漢書』に罽賓国の王城とある循鮮城であったと考えられています。

バーラーヒサール写真.2
城塞址

バーラーヒサールの名をもつ城塞や遺跡はアフガニスタン~パキスタンにかけて多くあります。「バーラー」とは「高い」、「ヒサール」は「城塞」の意で、地域で一番大きな城塞がこの名で呼ばれています。この名のついた遺跡はかつての首都であった可能性があります。

サマルカンド

サマルカンド写真.1
アフラシアーブの丘の城塞址

シルクロードの中央部に位置し、チムール帝国の首都として栄華を極めた古都サマルカンドは、かつてシルクロードの「商人」として有名な民族ソグドの拠点でした。サマルカンドを中心とする地域は、前6世紀の古代世界に一大帝国を築いたアケメネス朝ペルシアが支配下においた国の一つ「ソグディアナ」(ソグド人の土地)として歴史に登場しました。ローマ時代のアッリアヌスが著したアレクサンドロス大王の『東征伝』にもこの名がみられます。また中国の史書で、前漢時代の出来事を記した『漢書』にも、「康居国」(ソグド人の国)の記述があります。

サマルカンド写真.2
アフラシアーブの丘 復元図

現在のサマルカンドの北東の外れに、かつて栄華を欲しいままにしたサマルカンドの古都アフラシアーブの丘があり、発掘された壁画が当時(7世紀)の繁栄振りを物語っています。壁画にも見られるように、まさにソグド錦全盛時代のことです。

サマルカンド写真.4
チャガニヤーン
国の使節
サマルカンド写真.3
1号室から見つかった壁画

「アフラシアーブ」はイスラーム時代の13世紀に書かれたフェルドゥーシーの『シャーナーマ』(王書)の中で、ペルシアの敵国トゥーラーンの居城でした。このアフラシヤーブの遺跡丘に隣接する小規模な博物館に、ここから発見されたソグド時代の壁画が展示されています。1号室で見つかった壁画(650-655年頃)には、アフラシヤーブの王ワルフーマンが外国の使節を応接する場面、北バクトリアにあったチャガニヤーンの王トゥランタシュが自分の娘をワルフーマンの妃として居城に送り届ける場面などがラピス・ラズリをふんだんに使って描かれています。

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