シルクロードを舞台に繰り広げられた交易や人の往来は多くのものや文化を西へ、東へ、あるいは南へと運びました。
文様や意匠もその一つで、染織品の文様、陶器や建物の装飾に登場する植物文や動物文は、シルクロードを通じてみられます。仏陀や菩薩の姿、装身具や楽器なども伝えられています。
ここでは、こうした文様・意匠を少しずつ紹介していく予定です。
イスラームが世界を揺るがす少し前頃から西アジア~中央アジアの人びとに好まれた特徴的な文様に、連珠円文と呼ばれる文様があります。これは、珠が数珠状に連続して円環をなす図案で、多くの場合、円の内側に鳥獣文、狩猟文、樹下動物文、花文などが描かれています(写真1)。6世紀頃、ササン朝ペルシアの錦に登場したといわれるこの文様は、壁や陶器の装飾にも用いられました。この文様は運ばれた先々で模倣され、時代が下ると連珠が対翼文、ハート文、波文などが連続する円文も登場してきます。
イラン北西部、ケルマンシャー市に近いターケ・ボスターンの摩崖大洞(写真2)には、正面上段に王権神授、下段に兜に顔を隠した重装備の騎馬人物像、左右の壁にそれぞれ狩猟図(628-642年頃)が彫られていますが、この騎馬像の鞍掛に連珠円文に近い図案が描かれています。この文様が初期のササン錦の連珠文を想起させるといいます。
ウズベキスタン南部の都市テルメズ北方に位置するバラリュク・テペから発掘された饗宴図壁画(6世紀後半-7世紀初)をはじめ、サマルカンドの旧都城址アフラシヤーブの丘(650-655年頃)、ボハラの北西、ワラフシャ村にある支配者の宮殿址(8世紀初頭)やゼラフシャン川沿いに築かれたソグド人の都市址ペンジケント(7-8世紀)などから発見されたソグドの壁画では、貴人たちの外衣や捧げもった箱(写真3)、鞍掛などに、中国新疆省ウイグル自治区の大仏教遺跡で、かつてシルクロード西域北道に位置したキジル千仏洞の十六帯剣者窟の壁(7世紀前半)に描かれた「トカラ人寄進者」たちの外衣にも、錦に織られた連珠円文が見られます。
また、スタインがホータン北方のターリシュラク遺跡から将来した壁画断片(5-6世紀)では、仏の台座に敷かれた座布団に、連珠円文がみられます(Serindia,pl.CXXVI)。こうした連珠円文の錦は法隆寺や正倉院にも伝わっています。後に、連珠円文の錦がビザンチンで織られていたことも知られています。イランのダームガーンからは、円中に猪頭文を納めた連珠円文を表したストゥッコ(粘土と漆喰の混合物)の方形パネル(5-6世紀:写真4)、チャハール・タルカンからも連珠円文を並べた壁面装飾のためのパネル(7世紀頃)が発見されています。
イラクの首都バグダードの南西に位置するウンム・アズ・ザアティールの館からは、新年を意味する「ニーサン」の文字を載せた対翼文の連珠円文の方形パネル(6世紀)、西域のトックズ・サライ大寺院址Bから瑞鳥文を連珠円文で囲んだ粘土板(6-7世紀初)、ミンホイからは菩薩像頭部を連珠円文の装飾パネル(写真5)が出土しています。興味深いのは、同様の連珠円文のパネルが韓国の扶餘でも発見されていることです。アフガニスタンの大仏教遺跡のバーミヤンでも、D洞前室の天井(7-8世紀:写真6)の装飾として連珠円文が描かれています。
さらに、イランのデイラマーン出土の銀杯(4世紀?:写真7)のような銀器や、パキスタン北西部~アフガニスタン西部出土と伝えられる特徴的な彩文土器(8世紀頃:写真8)などにもこの文様がみられます。連珠円文が時を超え、シルクロードの東西を問わず広く好まれた文様であったことがわかります。














